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尖閣諸島の領有権問題 「    「参考資料(1) 論文・書籍07」




季刊「沖縄」第五十二号(昭和45年3月31日刊)掲載

尖閣列島の法的地位
奥原敏雄

 は し が き

 尖閣列島は、沖縄本島を離れること二三〇マイルに所在する無人島なので、一般には
ほとんど知られていなかった。ところが最近、エカッフェの沿海鉱物資源共同調査団が同
列島周辺の大陸棚に豊富な天然ガス及び石油資源の埋蔵されている可能性があるとの
報告を発表して以来、同列島に対する関心が、急速にかたまってきた。後述のように、台
湾の国民政府筋から、これらの大陸棚資源に対する主権論議が行なわれるにいたって
は、わが国としても、これに対する法的な反駁論拠を用意しておくことは必須のことであ
る。そこで、本誌前号では、これら尖閣列島周辺の大陸棚境界画定問題について、林司
宣講師が執筆しているから本稿では、もっぱら同列島に対するわが国の領有権に問題
をしぼって、領土編入の経緯や、第二次大戦後における現状などについて考察したいと
思うのである。


 一 尖閣列島の現状

 尖閣列島は琉球列島、大東諸島などとともに、現在、サン・フランシスコ平和条約第三
条にもとづいて、アメリカの旋政権下にある。だが同列島は沖縄本島から距離的に遠く
(約二三〇マイル)、またごく最近まで価値の乏しい無人の小群島ということもあって、ア
メリカの旋政権も、これらの諸島に対しては、必ずしも効果的に及んでいたわけではなか
った。
 そのため戦後まもない頃から国籍不明の船舶が、尖閣列島の領海内に出没していると
いう噂が流れていた。こうした噂は、一九五五年三月二日、沖縄漁船第三清徳丸(一
五.三九トン)が魚釣島一五〇メートル領海内で、国籍不明のジャンク船二隻に銃撃さ
れ、九名の乗組員中三名が行方不明になるという事件がおきてから、ある程度事実であ
ることが裏付けられていた。
 その後最近にいたるまで同列島が台湾に地理的に近いということもあって、台湾漁民
が、海鳥の捕獲や鳥卵の採集、カツオなどを求めて、公然と尖閣列島の領海内に入域し
たり、魚釣島や南小島に不法に上陸しているという事件がしばしば起きていた。
 とくに一昨年(一九六八年)七月、元衆議院議員高岡大輔氏を団長とする学術調査団
が、同列島を訪れたときには、南小島に台湾漁民約六十人が居住し、魚釣島、北小島な
ども台湾漁船の基地となっている事実が判明した。南小島における台湾人の居住は、同
島の付近で座礁したパナマ船(約一万トン)の沈船解体が目的であり、この作業にはど
の程度民政府の許可を受けていたか明瞭でないが、とにかく、出入域の手続、通関なし
といった上陸許可は、作業員以外の台湾人の不法上陸、子供などを含めた居住といった
事態をまねく原因となっていた。そのため同年八月十二日から十三日にかけて民政府の
渉外局次長が琉球政府の係官らとともに同島や魚釣島、北小島を視察した折に、いちお
う台湾漁民を退去させ、また九月に入ってカーペンター民政官が、いわゆるミリタリー・オ
ーバーフライト(空中査察)を通告したといわれている。しかし民政府の退去命令以後も、
尖閣列島への台湾漁民の不法入域は、後を絶たず、その効果は余り上っていないという
ことである。
 一方、国連エカッフェ沿海鉱物資源調整委員会の依嘱を受けて、一九六七年から六八
年にかけて黄海から東支那海にいたる大陸棚を調査した日米中韓の合同調査団は、こ
の水域の大陸棚に世界最大と推定される天然ガスおよび石油資源が埋蔵されている可
能性のあること、とくに、尖閣列島周辺の大陸棚がもっとも有望であるとの調査結果を報
告した。
 このような新情勢に対応してか、昨年(一九六九年)四月二十一日付台湾の「中国時
報」は、尖閣列島の帰属が確定的でないといった主張や、同列島に対するわが国の実
効的支配に疑念を抱いている論説を掲げ、また同年八月二十九日の台北発AP電は、尖
閣列島の領有権問題をめぐって国民政府が舞台裏で日本と争っている、と伝えている。
他方国民政府筋はどうかというと、中央日報の同年七月八日付によれば、国民政府行
政院院会は、七月十七日、尖閣列島周辺水域の大陸ダナに対して主権的権利を有する
との決議を採択したと報じている。しかし、今日までのところ国民誌府は、この大陸棚上
にある尖閣列島の領有権を公式には主張していない。



 二 尖閣列島の日本領土編入とその範囲

  (一)領土編入の経緯

 英修道博士の「沖縄帰属の沿革」(「外交史論集」中)によれば、尖閣列島が日本領土
に編入された経緯は次の通りである。
 「八重山群島の北西に位する無人の久米赤島、久場島、魚釣島については、最初一八
八五年(明治十八年)沖縄
県知事より、同県の所轄として標識(筆者注。このときは国標)を建設したい旨大政大臣
宛上申があったところ、井上外務郷が『島嶼が清国福建省境に近いこと、?爾たる小島で
あること、清国側に日本が台湾付近の清国領を占拠した等の風評がある』という理由に
より、国標の建設と島嶼の開拓はこれを他日の機会に譲る方がよろしいと述べたため、
同年十二月内務郷より同知事宛標識の建設を必要としない旨の指令があった。その後
これらの島において漁獲を試みる者があるようになり水産取締の必要を生じたため、沖
縄県知事より一八九〇年(明治二十三年)一月に管轄方を上申したが、この時また実現
しなかった」
 「日本外交文書第二十三巻」によれば、その後さらに一八九三年(明治二十六年)十一
月、沖縄県知事よりこれまでと同様の理由をもって同県の所轄方と標杭の建設を内務お
よび外務両大臣に上申してきたため、翌一八九四年(明治二十七年)十二月二十七日
内務大臣より閣議提出方について外務大臣に協議したところ、このときには外務大臣も
異議がなかった。そこで翌年(一八九五年)一月十四日、閣議は正式に、八重山群島の
北西に位する魚釣島、久場島を同県の所轄と認め、沖縄県知事の上申通り、同島に所
轄標杭を建設せしめることを決定し、その旨を同月二十一日県知事に指令した(「日本外
交文書」一八巻五七五頁上段によれば明治二十八年一月二十一日閣議ノ決定ヲ経テ
内務外務両大臣ヨリ■ニ上申中ノ標杭建設ノ件聞屈ク旨沖縄県知事ヘ指令アリタリ」と
あるが、筆者が閣議決定書原本について確認したところによれば、閣議決定は十四日で
あって、二十一日指令の日である)。
 さらにこの閣議決定にもとづいた同列島に対する国内法上の編入借置は、翌明治二十
九年四月一日、勅令十三号が沖縄県に施行されるのを機会に行なわれた。もっともこの
勅令は、元来郡編成に関する―沖縄県を五群(島尻、中頭、国頭、宮古、八重山)に劃
し、各郡に行政上属する地域を定めた―法令であって、尖閣列島を直接の対象とし、こ
れを国内法上正式に領土編入すべくさだめたものではない。しかし沖縄県知事は、勅令
十三号の「八重山諸島」に同列島が含まれるものと解釈して、同列島を地方行政区分
上、八重山郡に編入させる借置をとったのである。沖縄県知事によってなされた同列島
の八重山郡への編入借置は上述したごとく、行政区分上の編入を目的としたものであっ
たが、尖閣列島に対する国内法上の領土編入借置は、八重山郡への行政編入以前に
おこなわれていなかったから、同列島の八重山郡への編入借置は、たんなる行政区分
上の編入にとどまらず、同時にこれによって国内法上の領土編入借置がとられたことと
なった。

     (二)編入された尖閣列島の範囲

 ところで命じ二十八年一月の閣議決定は、魚釣島と久場島に言及し、沖縄県の所轄と
定めたが、尖閣列島はこの島のほかに南小島及び北小島と、沖の北岩ならびに沖の南
岩飛瀬と称する岩礁、それに久米赤島からなっている。そうしてこれらの諸小島及び岩
島について、上述した閣議決定はまったく触れていない。このことは明治二十八年一月
の閣議が、これらの諸嶼についての領有意思をもっていなかったと解すべきなのであろう
か。
 久米赤島を除きこれらの小島、岩島は魚釣島付近にすべて散在している。しかも南北
二小島と沖の北および南岩は魚釣島の領海外一マイルのところにある。したがって魚釣
島に対してわが国が領有意思をあきらかにしたからといって、それだけでは、これらの小
島および岩島にわが国の領有意思がおよんだことにはならない。しかし幸いなことに魚
釣島の領海内約〇.八マイルのところに、飛瀬と称する岩礁がある。この岩礁は、高瀬
時にも海面上に露呈しているから、国際法上島と認められるものである。そうして上述し
たごとく飛瀬は魚釣島の領海内にあるところから、同島に対するわが国の領有意思は、
飛瀬にもおよぶとともに、それ自身も領海をもつこととなる。一方北小島は、この飛瀬の
領海内(約二.七マイル)にあるから、同島にも領有意思がおよんでいることとなる。同様
に南小島および沖の南岩は、北小島領海内(前者は約二〇〇メートル。後者は約二マイ
ル)に、さらに沖の北岩は、沖の南岩の領海内(約二マイル)にある。このように飛瀬を基
点として考える場合には、魚釣島に対するわが国の領有意思は、これらの小島、岩島に
もすべておよんでいることが分る。次に久米赤島の場合であるが、もっとも近い久場島か
らでも約五〇マイル離れているため、南小島などとは異なり別個に領有意思を表明する
必要があった。明治二十八年一月の閣議決定が、魚釣島、久場島などに触れながら、な
ぜ久米赤島に言及しなかったかは、あきらかでない。上述した明治十八年および二十三
年の沖縄県知事よりの上申には、先の二島とともにつねに久米赤島にも触れており、ま
た明治二十八年の閣議において原案の通り決定をみた閣議提出案には県知事の上申
通りに沖縄県の所轄と認むるとして、久米赤島をとくに除外する理由を何も述べていな
い。魚釣島久場島の編入経緯に関する公文書記録をまとめている日本外交文書におい
ても、久米赤島の編入は、これら二島とともに当然に編入されたものとして扱われてい
る。たとえば同文書第十八巻は、「久米赤島、久場島及魚釣島ノ版図編入ノ件ニ関スル
概説書記録中ニ存スルニ附記ス」と述べ、その中で久米赤島が上述の二島と同様に編
入されたものとしている。(日本外交文書第十八巻、第二十三巻を引用されて、英博士も
前掲論文において、また大寿堂教授も「先占に関するわが国の先例」『法学論叢第七〇
巻一号』で、久米赤島も含めた三島が明治二十八年一月の閣議決定にもとづき、編入さ
れたと述べておられる)。このようにみてくると明治二十八年一月の領土編入に関する閣
議決定が、久米赤島をとくに除外して扱ったものとは思われない。しかし閣議提出案が
「八重山郡島ノ北西ニ位スル」と所在位置を限定しており、この方向に久米赤島が存在し
ていないこと(久米赤島は、宮古島の北北西約七〇マイル、石垣島の北北東約一〇五マ
イル)はあきらかであるから久米赤島を閣議がとくに意思がなかったとしても、閣議決定
に久米赤島が含まれていると断定することも問題であろう。(上述したごとく英博士は、明
治十八年の沖縄県知事よりの大政大臣上申として「八重山群島の北西に位する無人の
久米赤島……」と書かれておられるが、大政大臣宛上申では「沖縄県と清国福州との間
に散在せる……」と述べているにすぎず「八重山群島の北西に位する」といったような明
確な地理的限定をつけていない)。したがって久米赤島については、明治二十九年勅令
十三号により同領土編入されたと考えるべきであろう。


 三 領土理論とわが国の統治権行使の実態

  (一)国際法における領土理論
 十八世紀後半の国際法によれば、国家は、たんに発見による領有意思の表明だけで
は無主地に対する確定的領有権原を取得しえない(たとえばイギリスとスペインとの間で
争われた一七九〇年のヌートカ海峡事件)とされている。すなわち国際法上国家による
領有意志の表明は、合理的期間領有意思を表明した地域に対して、当該国家に未成熟
権原を決定しうるということであって、国家がこの合理的期間内に、当該地域に対して実
効的支配を及ぼしえないときには、この未成熟権原も消滅し、当該地域はふたたび無主
地となるものとされている(一九二八年パルマス島事件)。このように十八世紀後半以後
の国際法の下で国家が無主地に対して、領有権原を確定しうるために要求される第一
の要件は、実効的支配の存在である。しかし国際法は、無主地に対して、同じような質と
量をもった実効的支配を国家に要求しているわけではない。
 無主地に対して国家に要求される実効的支配の内容は、先占の対象となっている無主
地のおかれている条件によって異なってくる。一般に国家権力が十分に及んでいる場所
に近い無主地とか、居住性があり経済的価値も高い無主地について、国際法は、土地
の利用とか定住、国家権力の現実的行使をもって実効的支配の内容としてきた。とりわ
け国家権力(地方権力)の行使は十九世紀末以後の国際法の下で、国家に要求される
実効的支配の主要な要素とされてきた。
 一方二十世紀に入り先占の対象となりうる地域が次第に経済的価値や居住性の乏し
い極地とか辺境、無人島といった地域にかぎられるようになるにしたがい、こうした地域
に上述したような実効的支配を要求することは、不自然でもあり、合理的理由を欠くとい
うことから、土地の利用、定住といった現実的占有や、国家権力の行使といったものに
代って、国家主権もしくは機能の発現されていることをもって実効的支配の要素とみなす
ようになってきた(一九二七年パルマス島事件。一九三三年東部グリーンランドの法的地
位に関する事件)。
 こうした地域に対して要求される国家主権の発現とか国家機能の発現を、別の言葉で
説明するならば、それは、国家機関がその地域に存在し、現実にその場所で国家権力を
行使するということではなく、当該地域に対して国家機能を及ぼしていること、いいかえる
ならば統治権を行使していることである。たとえば一九三三年にデンマークとノルウエー
との間で争われた東部グリーンランドの法的地位に対する国家機能の発現がデンマーク
にあったとして、グリーンランド全体を対象とした立法借置(デンマークおよび外国船舶に
対してグリーンランド沿岸航行を閉鎖する法令、当該地域における漁業を規制する法
令、グリーンランドをいくつかの州に区分する法令等)政府の許可と奨励の下におこなわ
れた探検および学術調査、公船による査察、渡航許可証の発給といった行政借置の存
在することを指摘した。またオランダとアメリカ合衆国との間で争われた一九二八年のパ
ルマス島事件において、常設国際仲裁裁判所は、同島に対するオランダの領有権を認
める証拠として、現住民の土侯とオランダ東インド会社との間に当該地域におけるオラン
ダの主権を認めた契約(この契約では土侯に国内行政の権能を与えるとともに、現住民
の長『土侯』が外国といかなる直接の関係をもつことも、また重要な経済問題については
外国の人とも直接の関係をもつことを禁止し、さらに東インド会社の通貨の流通を認めさ
せ、奴隷売買の禁止、海賊の取締り、難破船の救助を義務づけていた)が結ばれ、この
契約がしばしば更新されてきた事実を指摘している。
 両裁判所が上述した証拠によって国家機能の発現(統治権の行使)を認めたのは、こ
れらの地域にみられた二つの特殊な条件による。すなわち、
 第一に、人口が稀薄で、人が安住していない(東部グリーンランド事件)か、もしくは北
極的な接近しえぬ性質をもっている(同上)か、あるいは公海から容易に接近しえない
(パルマス島事件)地域であること、
 第二に、第三国によるいかなる競争的主張も存在しないか、優越的主張をなしえなか
ったこと、である。したがって第三国による競争的主張が存在したり、第三国が優越的主
張をなしうるときには、国家機能の発現、すなわち統治権の行使だけでは不十分な場合
もあり、そうしてこの場合に領有帰属を決定する基準は、いずれの国家がこれらの地域
に対して実効的支配を優位しておこなってきたかによって判断されることとなる。(イギリ
スとフランスとの間で争われた一九五三年のマンキエイおよびエイクレルー事件における
国際司法裁判所判決)。

(二)尖閣列島に対する統治権行使の実状

 ところで尖閣列島は、東支那海に孤立した面積もきわめて小さい無人の小群島である
(総面積は六.三二平方キロ強で、山中湖の面積にほぼ等しい。列島中最大の島である
魚釣島の面積は四.三二平方キロで、小笠原父島の約六分の一強であるが、韓国に不
法占拠されている竹島よりはかなり大きく、その一四培強である)。
 同列島は、名称の通り、形状のけわしい島々であり、付近水面には岩塊、サンゴ礁が
無数に露出しているのみならず、潮流も激しく変化も急である。また海底が岩盤からなり
たっていることもあって、上陸、投錨とも困難でありまた危険である。
 高良鉄夫教授は、「尖閣列島のアホウ鳥をさぐる」(本誌二十六号)において、尖閣列
島近くは、潮流が早く、かつ波も高く船着場もないので上陸のときボートは緑着した珊瑚
上に転覆させられる危険性が多く、とくに赤尾嶼(筆者注=久米赤島ですなわち現在の
大正島のこである)はさらに潮流がいちじるしく早く、投錨ができない点を指摘しておられ
る。(同教授によれば、この列島を不法利用している台湾漁民は、これらの危険を防止で
きる竹製のイカダをボート代用としているとのことである)。
 昭和三十七年の海上保安庁水路誌も、また魚釣島について、沖合に波のあるときは、
舟を着けるのが困難であり、また久場島についても短艇を二隻つけることは困難で、風
波あるときには避難することもできないと報告している。
 一方居住性は、魚釣島と久場島に若干認められるが、久場島には湧水はまったくなく、
飲料可能な水流が見出されるのは魚釣島(かなり豊富)だけであり、南小島の水流は多
量の塩酸を含み(黒岩恒「尖閣列島探検記事『前』明治三三年九月地学雑誌第十二輯
第百四十一巻)北小島の小渓流は海鳥糞が混入しており、まったく利用できない(高良
前掲論文)。
 さらにこの付近の気象変化が激しく、また人体に有害な青バエなどが無数に棲息して
いるといった自然条件を考えるならば、若干居住性を認められるといっても、食糧途絶の
危険性、保健環境を無視した上でのことであって、短期間の居住か、大資本を投下して
居住性を高める等の方法を講じないかぎり、定住は不可能である。
 尖閣列島の経済的価値は、海鳥の捕獲、鳥卵の採集、付近水域でのカツオ漁などを除
けば、ほとんど皆無で、しかも上述した採集、漁業活動も季節的なものにかぎられてい
る。農業上の利用価値はさらに少ない。その理由として多和田真淳氏は、一、あまりにも
遠く離れており、港もなく、潮流は早く、風波が荒いこと、二、耕地に適する地域がほとん
どないこと、三、人命を危くするくらいに蚊群が棲息している点を指摘している(「尖閣列
島の植物相について」琉大農学部学術報告第一号一九五四年四月)。
 尖閣列島の居住性が乏しいことは、明治二十年代に幾組かのものが、尖閣列島への
移住を試みたが、古賀辰四郎氏を除いて、そのすべてのものは、自然環境や、気象の急
激な変化、食糧途絶などのために、上陸を断念したり、石垣島に戻ったり、中国大陸福
州に漂着したりしている事実によってあきらかである。
 また太平洋戦争の末期台湾に疎開途中の石垣町民が、米軍機の空襲を受けて、魚釣
島に漂着したにもかかわらず、クバの芯や寿命草以外に食糧もなく、そのため百五十人
中五十人が栄養失調で死亡するといったいたましい事件がおきている。この事件もまた
これらの島々がいかに居住性の乏しいかを教えている。
 このように尖閣列島は、面積のきわめて小さい、渡航往来のはなはだしく困難な無人の
群島であり、その居住性はきわめて低く、経済的価値も若干のものを除いて、ほとんどみ
るべきものもない諸嶼である。
 一方尖閣列島の領有権については明治二十八年にわが国が領土編入して以来、いか
なる競争的主張も存在していない。また台湾は同列島に対して、いかなる意味において
も実効的支配を及ぼしてきた事実は存在しないから、わが国に対して優越的主張をなし
えない。
 それ故に尖閣列島に対して領有権原を確定させるに必要な実効的支配は、東部グリー
ンランド事件やパルマス島事件において示された国家機能の発現、すなわち統治権の
行使されていることであれば、十分である。
 それではこれまで尖閣列島に対してわが国はいかなる統治権を行使してきたか、これ
が次に検討すべき問題である。
 すなわちまず明治二十九年勅令十三号にもとづく八重山郡への同列島の編入がある。
次いで明治四十一年特別町村制が制定され石垣島に村制が施行された際には同村へ
の編入借置がとられた(この行政借置は、石垣村が、町から市に昇格した際にも継続さ
れた)。一方明治三十年には古賀辰四郎氏による魚釣、久場、南北小島の四島の借区
申請に対して政府は国有地使用を許可した。さらに昭和初年上記四島は国有地から民
有地へと移管(所有主古賀善次氏)された。
 上述した国有地の利用許可を受けた古賀辰四郎氏は明治三十一年から大正中頃ま
で、久場島に移住労働者を送り、主にアホウ鳥の羽毛、綿毛の採集をおこなわせた。古
賀氏による移住労働者は明治三十三年には三十三人となり、久場島に古賀村なる部落
を作っていた。これらの労働者は、魚釣島、南北小島においても同様な捕獲、採集活動
をおこなってきた。
 民有地に移管された後古賀善次氏により先の四島においてカツオドリ、アジサシその
他の海鳥の剥製(南小島)カツオブシ製造(魚釣島)鳥糞の採集(久場島)などが営まれ
てきた。古賀辰四郎および善次氏による尖閣列島における経済活動は、課税の対象と
なっており、また国有地使用料、民有地に対する不動産税の徴収もおこなわれてきた。
(なお民有地払下げ書類ならびに登記所は古賀善次氏が保管し、そのコピーは総理府
沖縄事務所にある。また同列島の国有地台帳は熊本県営林局管理課財産係が保管し
ている)。
 さらに県の許可と奨励を受けた学術調査活動が、明治三十三年黒岩恒(久米赤島、久
場島を除く尖閣列島)宮嶋幹之助氏(久場島)によっておこなわれ、詳細な調査結果が翌
明治三十三年の地学雑誌において、報告されている(尖閣列島という名称は、この学術
調査にもとづいて黒岩恒氏が命名し、今日はこの用語が正式の呼称として用いられてい
る)。学術調査は、一九四一年にも行なわれている。このときには、石垣測候所の正木任
氏が農林省農事試験場の小林純氏、高瀬尚之氏等の資源調査隊に同行し、同列島を
巡航調査している。
 戦後の尖閣列島はすでに述べてきたごとく平和条約第三条にもとづいてアメリカの施政
県下にある。民政府および琉球政府によって同列島に対して及ぼされてきた施政権の行
使状況は次の通りである。
 まず布令第六十八号「琉球政府章典」は、アメリカの施政権区域を緯度および経度で
明示し、これらの区域内における諸島、小島、環礁、領海を琉球政府の政治的および地
理的管轄区域と定めており、この区域内に尖閣列島すべて含まれている。
 第二に久場島は軍用地として使用され、特別濱習地域(永久危険区域)に指定されて
いる(上述した台湾の中国時報は、尖閣列島の帰属権が疑わしい理由として、付近航行
軍艦の標的に利用されている事実をあげているが、おそらく久場島を指しているのであろ
う。しかし久場島は米軍によって特別濱習地域として指定されているのであって、無主地
であるがために軍艦の標的となっていたわけではない)。そうして同島の所有主と民政府
との間に軍用賃貸の契約が結ばれ、所有主に対して米軍は地料を支払っている(なお米
軍との契約書、地料支払書は同じく古賀善次氏が、同コピーは沖縄事務所が保管してい
る)。
 第三に一九五〇年、五二年、六三年に高良鉄夫氏(琉大教授)を団長とする学術調査
団が、琉球政府の依嘱によって、魚釣島、南北小島などの動物生態調査をおこなってい
る(ただし一九五〇年の調査は高良氏単身によってなされている)。
 第四に一九五五年の第三清徳丸事件に関連して、民政府は、在台北アメリカ大使館を
通じて国民政府に調査を依頼している。
 第五に一九六八年七月の台湾漁民不法占拠事件に関連して、民政府は立退命令を発
し、尖閣列島に対するミリタリー・オーバーフライトを通告している。
 第六に、一九六九年五月石垣市は、沖の南北岩と飛瀬を除く、尖閣列島の各島に八重
山尖閣群島と各島の名前、住所番地を記載したコンクリート製の標柱を設置して、魚釣
島には別に、沖の南北岩と飛瀬も加えた尖閣列島の全島名を記した、トラバーチン製標
柱を建立した。その際石垣市を固定資産評価員、税務課長が随行して、列島の資産再
評価をおこなっている。
 第七に、尖閣列島における居住は、戦後においては認められないが、海鳥の産卵期と
か、カツオの漁期に先島漁民が同列島を訪れ、季節的利用をおこなっている。

 あとがき

 以上によってもあきらかなように尖閣列島に対するわが国の統治権(戦後においては、
アメリカの施政権)行使には、十分なる証拠があり、同列島の特殊な条件を考えるとき、
領有権原を確定しうるに足る実効的支配が及んできたということができる。とくに尖閣列
島の居住性と経済的価値を考慮するならば、戦前における同列島の利用状況は、決し
て不十分なものではなく、むしろ海鳥などの乱獲(最盛期には毎年十五万羽のアホウ鳥
を捕獲してきたといわれている)によっていちじるしくその資源を枯渇させ、これが戦後の
尖閣列島の利用を低めているともいえる。他方尖閣列島のように特殊な条件下にある群
島においては、土地および資源の利用といった実効的支配までも要求しているわけでは
ないから、たとえば戦後において利用状況が低下したとしても、施政権が引きつづき行使
されているならば、継続的な実効的支配が依然として続いていることとなる。なお現在台
湾漁民による同列島の不法利用は、私人によるものであり、この事実によって台湾に領
有権の主張をなさしめる国際法上の根拠とはなりえない。
 しかし今日別の理由から尖閣列島に対する実効的支配の内容を高めることが必要とな
りつつある。それは最近における同列島水域周辺における大陸棚資源の可能性であ
る。もし近い将来大陸棚資源の存在することが確実視されるようなときには、その開発を
まつまでもなく、尖閣列島の法的及び経済的価値が飛躍的に増大するとともに、膨大な
投下資本同列島の居住不適正をいちじるしく改善することも可能となろう。そうなれば今
までのように無人島などに適用されていたと同程度の実効的支配では不十分とな
る。こうした時期が近い将来に到来することを前提として、予定されている七二年の沖縄
返還の実現とともに、直ちに同列島に対して実効的支配を強めることができるように今か
らその借置を検討しておくことが必要であるとともに、返還前においても応急効果的な借
置を民政府との間に講じておくことが望ましいといえよう。
 注 なお領土編入以前における尖閣列島の歴史については、拙稿「尖閣列島―歴史と
政治のあいだ」(「日本及日本人」一九七〇年新春号」を参照されたい。)
_____________________________________________________________________________________________________________【国土館大
学講師】



以上は、 奥原敏雄(国士舘大学・国際法)講師の「尖閣列島の法的地位」(「季刊
縄」第五十二号−昭和45年3月31日)を書き写したものであljr。書き写しにおける誤字
脱字に対しての責任は管理者にあります。




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「尖閣列島の領有権問題」