尖閣諸島の領有権問題


Column of the History

  94.  「お宝」目当ての領有権主張   ── 尖閣諸島問題 (2001.
10.7)
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/senkaku.
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皆さんに、「日本が抱える領土問題は?」と質問したとすると、先ず一番に日露間で係争
中の「北方領土」が頭に浮かぶ事と思います。「歴史再考」でも、前回・前々回と2回にわ
たって取り上げましたし、割と「知名度」が高い領土問題だと思います。しかし、日本が抱
える領土問題は「北方領土」に留まらないのです。実は、「南方領土」共言える領土問題
を日本は抱えているのです。そこで、今回は、「北方領土」にかすれがちな「南方領土」に
ついて書いてみたいと思います。


 「南方領土」 ── 正確には、「尖閣諸島」(「尖閣群島」共呼ぶ)と言い、「沖縄県石垣市
登野城」と言うれっきとした地籍を持っています。尖閣諸島は、魚釣島(釣魚台)・北小
島・南小島・久場島(黄尾礁)・大正島(赤尾礁)の5島と、沖北岩・沖南岩・飛瀬の3岩礁
で構成され、沖縄の南西・台湾の北東に位置し、石垣島から北に約170Kmの海上にある
無人島群です。しかも、諸島最大の魚釣島でさえ、面積は3.6平方Kmしか無く、高さ383m
の峻険な丘を抱えている始末。この様な無人島群である尖閣諸島の領有権を現在、日
本・台湾・支那の三国で争っているのです。それでは、なぜ、日本のみならず、支那や台
湾迄もが領有権を主張しているのか? その前に、日本が尖閣諸島を領有するに至った
経緯について触れてみたいと思います。


明治12(1879)年、日本政府は、琉球王国改め琉球藩を廃止し、沖縄県としました。その
後、日本政府は、明治18(1885)年以来、数回にわたって、沖縄県当局を通じて尖閣諸
島を実地調査し、無人島である事、清国(支那)を含むどの国にも所属している証跡が無
い事を慎重に確認した上で、明治28(1895)年1月14日の閣議で沖縄県への編入を決
定、正式に「日本の領土」となったのです。そして、日本が領有の根拠としているものは、
国際法で言う所の無主地の「先占」(occupation)の原則なのです。

「先占」の原則

ある国は、「無主地」(どの国にも属さない地域)がある場合、一方的な措置を取る事によ
って、これを自国の領土とする事が出来る。 
つまり平たく言うと、ある土地が、誰も住んでおらず、しかも、誰の所有でも無かった場
合、一番最初に見つけた人のものになる、と言う事なのです。ちなみに、「先占」の具体
例としては、フランスによるタヒチやニュー-カレドニア(ヌーベル-カレドニー)等の太平洋
島嶼の領有が挙げられます。この様に、「先占」で日本が獲得した尖閣諸島ですが、戦
後もかなり経った昭和46(1971)年、突如として、台湾・支那両国から領有権が主張され
始めたのです。では、何故、それ迄一言も「領有権」を口にしていなかった台湾・支那両
国が、急に領有権を主張し始めたのでしょうか?

昭和43(1968)年、国連・アジア極東経済委員会(以下、ECAFEと略)が一つの報告書を
発表しました。タイトルは『支那・東支那海と朝鮮海峡の海底地層と石油展望』。前年か
ら、東支那海の海底資源を調査していたECAFEがまとめた報告書には、

「沖縄諸島と台湾、日本の間の大陸棚の縁や、黄海・渤海には石油埋蔵の可能性が高
い」
とし、尖閣諸島の海域にも大規模な海底油田・天然ガス田があると考えられたのです。
つまり、「絶海の無人島」で交通の便も悪い辺境の島が、一夜にして「宝島」となった訳で
す。そして、この発表後、台湾・支那が相次いで領有権を主張し始めたのは前述の通り
です。こう見てみると、「お宝」(石油・天然ガス)に目が眩(くら)んでの領有権主張と見て
も当然と言えば、当然でしょう。とは言っても、果たして本当に「お宝」目当ての領有権主
張なのでしょうか? それとも、尖閣諸島は「日本の領土」等では無く、台湾あるいは支那
の領土なのでしょうか?

尖閣諸島は「日本の領土」等では無く、台湾あるいは支那の領土なのか? 結論から言
えば、尖閣諸島はやはり正真正銘「日本の領土」です。そして、それを証明するものは、
はからずも「領有権」を主張している台湾・支那側にあったのです。中華民国59(1970=
昭和45)年、台湾で発行された『国民中学地理科教科書』(初版)所載の「琉球群島地形
図」には、日本と台湾の国境線が台湾と尖閣・八重山諸島の中間に引かれており、島嶼
名も「尖閣群島」と日本名で記載されていたのです。


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___________________________________________________________台湾『国民中学地理科教科書』(初版
 1970)
________________________________________________________________________________所載「琉球群島地形図」


________________________________________________

__________________________________________________________________________________同地図の拡大図
____________________________________________________________(台湾と尖閣・八重山諸島の中間が国境線)


ところが、その翌年、中華民国60(1971=昭和46)年に発行された同教科書(改訂版)で
は、国境線が台湾・尖閣諸島と八重山諸島の間に引き直され、「尖閣諸島」の島嶼名も
「釣魚台列嶼」(ちょうぎょだいれっしょ)と書き改められたのです。


________________________________________________
___________________________________________________台湾『国民中学地理科教科書』(改訂版 
1971)
______________________________________________________________________所載「琉球群島地形図」
_________________________________________________(国境線の変更と「釣魚台列嶼」の島嶼名に注目)


つまり、台湾『国民中学地理科教科書』を例に取れば、少なく共、1970年迄は、台湾が尖
閣諸島を「日本の領土」であると認めていた訳で、翌1971年、台湾が尖閣諸島の領有権
を主張したのに伴って、国境線と島嶼名が変更されたと考えられる訳です。では、もう一
つの当事者・支那の場合はどうかと言う事ですが、1958(昭和33)年、北京の地図出版
社から発行された『世界地図集』所載の「日本図」の場合も、「尖閣諸島」は台湾同様に
「尖閣群島」と日本名で記載され、国境線も台湾と尖閣・八重山諸島の中間線に引かれ
ていたのです。



________________________________________________
____________________________________________________________________________________________________________________________
__________________________________________________________________________北京・地図出版社発行『世界
地図集』(1958)所載「日本図」
_____________________________________________________________(台湾と尖閣・八重山諸島の中間が国
境線)


つまり、台湾・支那両国共に、当初 ── ECAFEによる報告書発表以前は、尖閣諸島を
「日本の領土」と認識していた訳で、両国による「領有権」主張は、やはり、「お宝」目当て
と考えざるを得ないのです。


さて、ECAFEによる報告書によって、一躍「宝島」として脚光を浴び、日台支三国の係争
地となった尖閣諸島ですが、本当に報告書にある様な「宝島」 ── 有望な海底油田が
あるのでしょうか? 日本側の調査報告では1095億バレル(約150億t)、支那側の1980
年代初頭の推計では700〜1600億バレルとされています。しかし、米国CIA(中央情報
局)の試算では390億バレル(1977年推計)、旧ソ連の地質学者に至っては、75〜112億
バレル(1974年推計)とし、最新の科学調査では僅か32億バレル程度共言われていま
す。蓋を開けてみれば案外大した事が無いのかも知れません。とは言うものの、海底油
田の有無が問題ではありません。尖閣諸島はあくまでも「日本の領土」なのです。「お宝」
に目が眩んだ台湾・支那両国、特に近年、周辺海域に海軍艦艇や海洋調査船を頻繁に
繰り出している支那への警戒を怠るべきではありません。かつて、南支那海の南沙諸島
(スプラトリー諸島)において、フィリピンが主権を主張する小島を、警戒の隙を突いて支
那海軍が奪取した事がありました。いや、もっと身近な例では、「竹島」があります。その
意味でも、日本は「日本の領土」である尖閣諸島の領有権を、台湾や支那に気兼ねする
事無く、より強く主張すべきです。と同時に、容易に占領(奪取)される事が無い様、より
一層防衛に努めるべきと言えます。



「尖閣諸島」関連年表
年次 事績 
1879(明治12)年 琉球処分(日本政府、琉球藩を廃止し、沖縄県を設置) 
1884(明治17)年 この頃より、福岡県の事業家・古賀辰四郎氏、尖閣諸島で漁業等に従
事 
1885(明治18)年 日本政府、沖縄県当局を通じて、尖閣諸島を実地調査(数次にわた
る) 
1894(明治27)年7月 日清戦争勃発 
1895(明治28)年1月14日 閣議決定により、尖閣諸島を沖縄県の所轄として標杭の設置
を決定
(領土への編入) 
1895(明治28)年4月17日 日清講和(下関)条約調印により、清国、台湾・澎湖諸島を日
本に割譲
(割譲の対象となった島嶼に、尖閣諸島は含まれていない) 
1895(明治28)年6月10日 古賀辰四郎氏、野村靖・内相宛に「官有地拝借御願」を提出 
1896(明治29)年 日本政府、尖閣諸島の内、魚釣島・北小島・南小島・久場島の4島を、
古賀氏に30年間無料貸与 
1918(大正7)年 古賀辰四郎氏死去。子息・善次郎氏、父業を継承し、魚釣島・南小島で
カツオブシ、海鳥の剥製等の製造を行う 
1926(昭和元)年 尖閣諸島の内、4島の古賀氏への無料貸与期限満了
(以後、一年契約の有料貸与に切り替える) 
1932(昭和7)年 古賀氏、尖閣諸島の内、4島の払い下げを申請
政府、同氏の申請を受け、4島を有料で払い下げる(以後、民有地) 
1952(昭和27)年8月 日華平和条約発効 
1953(昭和28)年12月25日 琉球列島アメリカ民政府、布告第27号「琉球列島の地理的
境界」で、施政範囲の緯度・経度を明示
(尖閣諸島も、米国の施政権下に含まれる) 
1958(昭和33)年11月 北京の地図出版社、『世界地図集』発行
(尖閣諸島を「尖閣群島」と日本名で表記し、日本領として扱っている) 
1965(昭和40)年10月 台湾国防研究院・支那地学研究所、『世界地図集第1冊東亜諸
国』初版出版
(尖閣諸島を「尖閣群島」と日本名で表記し、日本領として扱っている) 
1967(昭和42)年 国連・アジア極東経済委員会(ECAFE)、東支那海の海底資源を調査 
1968(昭和43)年8月 琉球政府法務局出入管理庁係官、南小島において台湾人労務者
が不法上陸し、同島沖で座礁した船舶の解体作業に従事していたのを発見。台湾人労
務者、係官の退去要求に応じて離島 
1968(昭和43)年 ECAFE、調査報告書『支那・東支那海と朝鮮海峡の海底地層と石油
展望』を発表
(尖閣諸島一帯に豊富な石油資源が埋蔵されている可能性が高いと指摘) 
1969(昭和44)年5月 石垣市、魚釣島・北小島・南小島・久場島・大正島の5島に地籍表
示用の標柱設置
(尖閣諸島の地籍は、沖縄県石垣市登野城に属す) 
1970(昭和45)年1月 台湾(中華民国)国定教科書『国民中学地理科教科書第4冊』初
版発行
(尖閣諸島を「尖閣群島」と日本名で表記し、日本領として扱っている) 
1970(昭和45)年7月 琉球政府、琉球列島米民政府の協力で、魚釣島・北小島・南小
島・久場島・大正島の5島に領域表示板設置 
1971(昭和46)年4月 台湾、尖閣諸島の領有権を主張 
1971(昭和46)年 台湾国定教科書『国民中学地理科教科書第4冊』改訂版発行
(尖閣諸島を「釣魚台列嶼」と表記し、台湾領として扱っている) 
1971(昭和46)年6月11日 沖縄返還協定に対して、台湾(中華民国)外交部、声明を発

(日本への返還範囲に含まれる尖閣諸島の領有権を主張) 
1971(昭和46)年6月17日 佐藤栄作総理・ニクソン米大統領の間に、沖縄返還協定調
印 
1971(昭和46)年12月30日 沖縄返還協定に対して、支那外交部、声明を発表
(日本への返還範囲に含まれる尖閣諸島の領有権を主張) 
1972(昭和47)年5月15日 沖縄返還協定に基づき、南西諸島全島の施政権が米国から
日本に返還
(尖閣諸島は、合意議事録に明記された範囲(緯度・経度)に含まれている) 
1972(昭和47)年 右翼団体「日本青年社」、魚釣島に航路標識(灯台)を設置 
1978(昭和53)年 日中平和友好条約調印
(日本・支那両国共に、尖閣諸島領有権問題を当面の間棚上げとする事で合意) 
1988(昭和63)年 「日本青年社」、魚釣島に航路標識法に基づく灯台を設置 
1989(平成元)年9月 海上保安庁、尖閣諸島海域に侵入した台湾漁船を領海外に駆逐 
1990(平成2)年9月29日 日本政府、「日本青年社」設置の魚釣島灯台を航路標識として
正式に認定 
1992(平成4)年 支那、「領海法」を制定し、「釣魚台」(尖閣諸島)の領土編入を一方的
に宣言 
1996(平成8)年7月14日 「日本青年社」、魚釣島にソーラーシステム灯台を設置 
1996(平成8)年8月 海上保安庁、尖閣諸島海域に侵入した台湾漁船を領海外に駆逐 
1998(平成10)年6月24日 尖閣諸島の日本領有に反対する活動家を乗せた香港の抗議
船「釣魚台号」等6隻が、尖閣諸島海域に侵入。活動家の魚釣島上陸を、海上保安庁が
実力で阻止 
1999(平成11)年9月5日 「日本青年社」のメンバー3人が、魚釣島に上陸 
1999(平成11)年 この年、東支那海の日本側排他的経済水域内で、支那海軍艦艇8回
31隻・海洋調査船15回25隻が、日本側に通告せずに無断侵入 
 

   余談(つれづれ)


絶海の無人島で、沖縄本島から行くよりも、むしろ台湾からの方が近い訳だし(尖閣諸島
の南端は台湾北部・基隆市から120海里、北端は沖縄県那覇市から230海里)、下手に
台湾・支那と領有権争いでもめる位なら、いっその事、領有権等放棄してしまった方
が・・・と言った意見もあるかと思います。しかし、尖閣諸島の内、魚釣島・北小島・南小
島・久場島の4島は、埼玉県在住の古賀氏が所有するれっきとした「民有地」。例え、住
んでいないとは言っても、「民有地」である以上、国が勝手に「領有権」を放棄する等と言
う事は出来ないのです。又、尖閣諸島の領有権を日本が放棄し、支那が領有したとした
ら・・・「台湾は神聖なる不可分な固有の領土」・「沖縄も我国の潜在的領土」と公言して
憚(はば)らない支那の事。隣接する先島諸島(八重山諸島・宮古諸島)、更には沖縄本
島迄もが、支那の直接的脅威に晒(さら)される事になるでしょう。そう言った観点から
も、尖閣諸島の「領有権」を日本は断固として守るべきなのです。



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公平に釣魚台列島問題を論じるために