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尖閣諸島の領有権問題

黄尾島(承前)1











黄尾島(承前)



記事名: 黄尾島(承前)第二章地理及地質
著 者: 宮島幹之助
雑誌名: 地學雑誌
巻 数: 第十二輯第百四十四巻
頁 数: 689頁1行〜700頁13行
發行年: 明治三十三年拾二月
發行元: 東京地學協會




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地學雑誌第拾貳輯第百四拾四巻 明治三十三年拾二月

      論説 (禁轉載)


   黄尾島(承前) 
             理學士 宮島幹之助 

    第二章 地理及地質

位置、 我海軍省水路部出版(明治三十年)の海圖と按するに、本島は東經百二十三度
四十分・北緯二十五度五十六分三十秒に位し、西南十五海里を隔てて魚釣島と相対
す。本島は南方臺灣より九州四國及び本島の海岸に沿ふて走れる黒潮の潮流中に介
在するを以て怒濤時に激する時は、岩角を洗ひ、其勢當る可からず。間々此潮流により
て南洋の産物が此島に漂着する事あり。現に予は在島者が椰子實を拾ひ置きしを見た
り。此の如く潮流は其方向北東なるを以て、本島より魚釣鳥への渡航容易ならざれとも、
魚釣島より本島へは、長さ三四間にすぎざる刮舟又は傳馬船を以て、優に渡り得可く、
順風なれば二三時間を出ずして達し得可し。本島の四圍は皆渺茫たる蒼海にして、正東
に赤尾嶼あれとも海中の一岩塊、然も四十八海里の遠きにあるを以て、眼界に入らず、
唯晴天の日には西南の一方海面に、魚釣島と南北小島のあらわるヽを望み得るのみ。
(第
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一圖は黄尾島古賀村より魚釣島及び尖閣諸嶼を望みたる遠景なり)




 
本島は長崎臺灣間直行?船の航路に當り、?船は多く島の西方五哩位の處を駛す。今各
主要なる諸港より本島への?船直航距離を掲くれば左の如し。
沖縄本島那覇港より           二百十九哩  
八重山列島中石垣島石垣港より      九十六哩
仝  西表島船浮港より         九十五哩
臺灣島基隆港より            百十五哩
地形 島の形?略正三角形をなす。其一邊は東南南の方位をとり、一邊は南南西の方位
をとり、余の一邊は北北東に奔る。其正西角を西岬(俗稱「イリサキ」)と云ひ、東南角を東
崎(俗稱「アガリサキ」)と稱す。又東
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北隅に一角あり、之を北岬(俗稱「ニシサキ」)と唱ふ。 





全島は之れ岩塊の相集りて海上にあらはれたるにすきず。從て海岸線に出入少くして絶
壁多し、殊に島の西北面と東南面とは極めて嶮にして、直立六十尺乃至八十尺の絶壁
なり、故に容易に攀つ可からず、西南面の一部東岬に近き處はやヽ峻なれとも、過半一
帯は低くして上陸するに適す。沿岸は總て巨岩よりなり、舟を寄す可き港灣なし。唯一ヶ
處岩礁の間に端艇を入るヽに足る處あり、在島者の「ハトニハ」泊と呼ぶは乃ち是にし
て、西南岸の中央より西方に偏在す。外方には一列の岩礁あり、其中央に長六間許の
岩の切レ目ありて、艇の出入口をなす。然れとも岩は低くして充分波を遮るに足らず。且
つ碇泊所内も淺くして繋舟に便ならず。中央に突出せる岩礁は長方形をなし、恰も天然
の棧橋をなす。茲より陸上十敷間にして急に十五尺余の高臺となる。其下に移住者の茅
舎あり(前號挿入の寫眞圖参照)
島の外部は直ちに十尋乃至二十尋の深水にして、?船も島
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に接近する事を得可し。然れとも海底は島と同じく岩塊よりなるを以て、投錨に便ならず。
殊に南より來る潮流は奔馬の勢ありて、少しく風波あるの日は、?船と波止塲との距離僅
かに十數間にすぎさるも、艇を寄するを得ず、空しく波浪を島の北岸に避くるの止むを得
ぎる事あり、然も風濤尚烈しきに至れば、此島の小なる能く風を防くに足らすして難を魚
釣島に避くるなり、本島の周圍諸所に二三の小礁の附隨するありて、水中に隠顯す、后
の航海者船を本島に寄するに當りては、注意して可なり、 
本島の周圍僅かに約一里半、直径南北十町、東西八町に過ぎず、その面積を概算する
に、僅かに七十町歩に超へざる可し、島上二三の隆起あり、中央に位する者は最高くし
て海面を抜くこと六百尺、之を南より望めば、曲線の佳なる圓錐形をなす。(第二圖)未だ
此山には名稱なし。予等一行の此島に到着せしは恰も五月十日にして、我等臣民が最
も記憶す可き 皇太子殿下御慶事の日なれば、祝賀の意を表し、記念の爲め千歳山と命
名せり。之に次て高きもの鳥の東北隅に聳つ。之を信天山と名付く(本島の棲息鳥・信天
翁に因み) 又東南隅にあるは信天山よりも低くして千歳山に随從せるの觀あり。之を今
回渡航の船名をとり、永康山と名つく。以上の三峯は本島の重なる隆起にして、多少皆
圓錐形をなせり。(第三圖)其他三山の間に小起伏あれとも、特に山と稱するに足る者な
し。一般に本島の隆起其東北面に於て斜度急にして南西面に緩なり。本島には一の湧
水又は流水なし、降雨の際、水の流るヽや、多くは南西面に集まりて海に注ぐを以て、此
面の渓間には、土壤全く洗去ら
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れ、岩塊礫石の累々たるを見る。古賀村は此千歳山の西南麓やや開さたる所にあり、茅
舎數屋、周圍に數頃の畑地ありて煙草、甘蔗、甘藷、芭蕉等を栽培す、之より少しく西方
に下り行けば直ちに「ハトニハ」泊に出つ可し。(前號挿入寫眞圖参照)
地質 本島の地質に關しては予の専門以外に屬するを以て、明記するに由なし。學友理
學士吉原重康君の好意により予の採集岩石に就て知り得たる處によれば、本島の基礎
とも云ふ可き岩石は、火山岩の一種玄武岩(バザルト)にして、全島略均一なり、故に基
盤の構造極めて簡單なり。海岸に露出せる岩の巨塊は質緻密なれとも、島の内部並に
海岸絶壁上に見らるる者は多孔質にして、疑もなき岩流(slaggy lava)なり。 此等の岩流
砕けて多く渓間に集る。故に島内諸處に大小種々の岩塊の重積するを見る。島の皮膚と
も云ふ可き土層は、比較的薄くして、厚きも四五尺を超へず。土は黒色を帯び、粘氣なく
甚だ粗なり。是れ降下せる火山灰の積りし者か或は岩の崩解して生したる者なるか、予
は之を明にせず。 
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島内西崎より信天山に至るの間一帯は、平地にして長四町巾一町半あり。在島者は此
處を馬追原(マイヤーハル)と稱す。岩塊累々として雑草其間に茂る。(圖は後巻に挿入す)
此原の中部海に近く大窪(クミ)ありて摺鉢形をなす。中に大なる巖塊疊積す。之れ皆岩
流のくたけてなりたるなり。其東北數十武に大洞あり。入口は東北に面し、狹くして人幸
して入り得可し。 然れとも内部は廣闊にして、巾三四間、高さ一丈に達す。洞の方向初
めは南西なれとも半にして折れ北西に轉し、遂に正北に於て外に開く其出口又極めて狹
し。洞の全長は略三十間にして中央に於て曲るを以てく字?を呈す。是れ噴火の際に生じ
たる者なる可し。沖縄人は總て此の如き洞を「ガマ」と呼へり。予は此岩洞を同行せられ
し黒岩氏に因み黒岩洞と名付りけたり。 
信天山より以東・東崎に至るの間數町歩は、一帯の平地にして、岩石よりなり、表面に
赭土の薄層あり。故に赤河原の稱あり。此平地は海面より四五十尺の高さにあり。その
其背後乃ち東側は急に隆起し信天永康二山の連結をなす。此連結隆起中永康山に近き
處に「ナベクボ」の凹處あり。摺鉢形をなし、直径略二十五間、噴火孔の跡にはあらさる
なきかの疑あり。其周圍殊に外壁は薄岩よりなりて、其斜傾内側に比して甚だ急なり。
(凡そ三十度)
此連続隆起の後方、信天山の東麓に斜度緩やかなる廣き渓谷あり。溝川原と呼び、千
歳信天二峯と「ナベクボ」連丘北部との間に介在す。西南は馬追原と連なり、東北に下
れば赤河原に至る可し。(圖は後巻に挿入す)又之に似たる低地永康山の南麓にもあり。
「アガリヤドリ」の名ありて、東崎に近し。 
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要するに本島の地形並びに其構造は極めて單簡にして、魚釣島と異なり、一の水成岩な
く、全く玄武岩のみよりなる。岩石を顕微鏡下に視れば斜長石橄欖石等微晶質の石基中
に存在す。(吉原氏による)前に述へし馬追原の黒岩洞及び「ナベクボ」等は噴火の際に
生じたる者なる可く、主なる山峯の圓錐形なる等は、全然皆此島の火山島たるを示す者
なり。 


      第三章、 氣 象

本島は絶海の一孤島なれば、其氣象にも變化多く、又黒潮の影響を蒙るを以て、氣候概
して温暖なり。從來本島に在留せるは勞働者のみにして、信據す可き觀測なく、又記事
等の微す可きなし。在島者の供述によれば、温度は沖縄縣下那覇邊と大差なきも、夏月
の間は絶へず風ありて、暑氣を感すること少しと云ふ。(那覇測候所三十二年度報告によ
れば、平均温二十一度九分にして、最高極三十二度六分最低極七度七分なり)
風は春夏の期には南風多く、秋冬の侯には北風多し。殊に冬月には暴風頻りに來り、波
濤高し。概して本島附近の海上の平穏なるは、四月より六月の間にして、渡航に適す。
八月中又凪多きも、間々猛烈なる暴風起り、怒濤激して本島波止塲附近は、全く潮を以
て浸たさるヽに至ることありと云ふ。 
雨量の最も多きは二、三の兩月にして、各月に凡そ十二三回の降雨あり。六七の兩月に
は最雨少く僅かに二三回にすぎず。前に述へし如く、本島には一の湧水なし。故に雨水
は在島者等の飲料の根源なれば、雨期に於て充分貯蓄せさるを得ず。從來は泡盛瓶等
に水を貯へしも、今回の渡航に
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當り、煉瓦を以て略百石を入る可き「タンク」を造りたれば、後來は飲料水の欠乏を感ず
ることなかる可し。 
概して氣候は經度の割合に比較的温和にして、八重山列島の如く、瘴癘の氣なく、從て
悪性マラリヤ等の風土病を見ず。卅一年度に渡航せし者の中には、脚氣病に罹りしもの
ありしも、昨年より移住せる二十九名の勞働者中、一の病者を見ず。殊に昨年渡航し、
今尚在島して、移住者を監督する橋本某の如きは、元來喘息患者なりしも、來島以來該
病の發する度大に滅し、其症又輕快に赴けりと云へり。又以て本島氣候の一般を窺ふに
足らん。
予の本島に滞留する時日甚だ短く、且つ充分の器機を備へて觀測せしにあらされば、氣
象學上一も其用なけん。然れとも單に本島氣象の一般を示さんが爲め表示する事次の
如し。 

   黄尾島氣象表(五月十日より同十七日に至る八日間觀測) 







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氣温 正午   26.1   26.7   23.9   23.3   21.1   24.4   26.7   26.5  
氣壓 平均   65.1   63.2   60.1   62.2   65.2   63.1   60.2   60.3  
最高      66.0    64.5   61.3   64.5   66.5   65.2   61.2   60.5  
最低      63.8   62.0   59.0   59.7   63.9   61.1   59.5   60.0  
  (湿氣は湿度計を携帯せさりし爲め明に知るに由なし。但し石垣、那覇に比して湿氣の
少きを感す、) 
之を要するに、本島の氣象中予が滞留僅かに八日間の極めて粗略なる觀測を以て見れ
ば、氣温は概して那覇よりも高く、石垣より低し。氣壓にありて一般に云へば、少しく石
垣・那覇よりも高し。其他風の方向及び晴雨等に於ても少差異あり。航海者の言によれ
ば、本邦南部殊に九州沿岸を襲ふ颶風は、多く臺灣近海に起こり、本島の如きは、恰も
その通路に當る。故に若し、本島又は魚釣島等に、氣象臺の設置あらば、早く颶風の進
路を予知し得て、航海者は大に便利を享く可しと、頃者傳聞する所によれば長崎より臺
灣直行の海底電線の布設ありと。若し同海底電線にして、此島の近傍を。經過するなら
んには、測候所を此島又は魚釣島上に設くる。又穴勝難事にもあらさる可し。茲に記して
當局者の参考に資す。 
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   第四章 植物
黄尾島の西南面には樹木多く、北面には甚だ少し。本島植物の主要なる者は、蒲葵(ビ
ロウ・Livistonia chinensis, Br.)にして、沖縄人は之を「コバ」と呼ぶ。着島第一先つ眼を
惹くは此樹にして、滿山否全島皆此「ビロウ」を以て被はるヽの觀あり。本島内主要なる
山峯の中腹より頂上に至るの間には、此樹茂り、其下には倭樹繁茂す。遠く之を望め
ば、五分刈頭上長毛の存するに似たり。 殊に千歳・永康二山の間は、全く「ビロウ」林に
して、林中又他樹を見ず。故に林間を通過すること尤易し。尚西崎附近にも此林ありし
も、心なき勞働者犯りに伐截せしを以て、今は累々たる切株を見るのみ。此樹の高きも
のは長さ三間を超へ、周圍一抱に至るもの少からず。頂端には掌?葉簇生す。葉は以て
屋根を萱き、幹は以て家の柱となすへし。故に本島移住者には最有要の樹木なり。予等
が本島にありし間は、實に「コバ」の柱に「コバ」の屋根の屋舎に雨露を凌けり。其他此
樹の幹は材として用途多く葉も亦笠、團扇等を製するに用ゐらる、又本島にて荷造の際
には此葉を編みて蓆に代用せり。 
次に本島に多きは榕樹の類(Ficus)なり。島の内部には巨大にして高きものあり。其氣根
は埀下錯綜して能く岩角石礫の間に蔓る。沖縄邊にも多き樹にして、土俗之を「ガジュマ
ル」と稱す。後巻に挿入する者は、此樹の下部を寫せしものにて、その下に白く見ゆるは
信天翁の踞坐するなり。全島の「ビロウ」樹間を埋むるは此樹なりとす。島の海岸殊に東
北面風當りの劇しき處にある「ガジュマル」は極めて倭小にして、恰も「ハイマツ」の如く、
岩石間に臥生す。故に到底其間を通過す可か
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らず、予、島の周圍巡回の際此「ガジュマル」中に入り、大に困却せしことあり。予の見し
處にては、島の内部にある者と外部にある者とは、其生育の?態全く異りて、別種と認め
しも、果たして別種なりや。或は其生態上の變差の爲め、其繁茂の?を異にする者なるや
を詳にせず。之れ植物學専攻者の解説を待て知る可き處なり。故に予はその二三相異り
と見ゆる者を採集し、松村博士に呈せり。未だ同博士の考査を得されば、絃に詳記する
能はず。「ガジュマル」はその材質甚だ粗にして、用ゆる足らず。唯燃料に供するに適す
るのみ。
本島も亦魚釣島と等しく、沖縄諸島に多き「ソテツ」「クロマツ」を全く見る事なし。又沖縄
諸島海濱の地に普通なる「キアダン」(Pandanus odoratissimus, L.)の如きは、極めて少
く、西隈海岸に僅かに數株
を見しのみ。



「ヨシ」(Phragmites communis, var longivalvis, Miq.)は又本島の主要なる植物の一にし
て、其高さ七八尺乃至一丈余に達し各處に深き藪をなす。信天翁は此藪中に営巣す。主
として千歳山の西麓一帯と永康信天二山の東麓部に大なる蘆藪あり。その小なる者は
島中諸處に散在す。其他樹木には「シマクワ」「ツバキ」「オホバキ」「クスノハガシワ」「ク
ルボウ」等あり。草木にて最多きものは「ハマナ」「ハママン子ングサ」「シマキケマン」「オ
ホハマグルマ」「シマセンブリ」「イヌホヽツキ」「シママルバアガザ」「イヌビエ」「ウスベニニ
ガナ」等なり。中「ハマナ」(Tetragonia expansa, Ait.)は島の内部に多く「ハママン子ング
サ」(Sedum formosauum, N.E.Br.)等は海濱に茂生す。又巨大なる「シマクハズ
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イモ」(Alocasia cucullata, Schott.)は、樹陰にその廣き葉を延ぶ。然れとも引く時は容易
に地中より之を抜く事を得可し。「イハユリ」(Lilium longiflorum,, Tumb.)の如きは海濱岩石
の間にも能く繁育し、大なる白花萬緑の中に秀て、海岸の一美觀をなす。その他「クロミ
ノオキハナスヾメウリ」(Zehneria mysorensis, Arn)は島中此處彼處に蔓延し、地上に匐
ふては、信天翁白骨の積みてなれる小丘を全く被包し、或は樹枝に懸埀す。「トウツルモ
ドキ」(Flagellaria indica, L.)の如きも亦少なからず。樹林中にありて一枝より他枝に卷攀
して人の道路を遮る。 隠花植物又少からず。就中「オホタニワタリ」(Asplenium Nidus, L.)
は岩隙樹幹に着生し、大なる葉は高く廷擧し、その尖端埀れて樹陰を飾れり。 
本島植物界の光景は、琉球地方と相似たれども、又大に異なる點あるななり。予が在島
の間少しく採集する處あり。其錯葉は皆松村博士の許にあり。未だ同博士の判定を得さ
れば、茲に之を詳記するに由なし。以上記する處は予が在島の際、特に著しく感ぜしも
のを擧けたるのみ。其他尚本島の栽培植物には、芭蕉あり。臺灣産竹あり、寶李、甘
蔗、甘藷、及び煙草等もあり。其中芭蕉甘蕉、甘藷は能く生育し、殊に煙草の如きは大
に此地に適せるを認めたり。 (未完)


























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