×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

尖閣諸島の領有権問題


大正9年、中華民国駐長崎領事の感謝状





石垣村長の豊川善佐氏に贈られた感謝状
  (平成22年11月12日に石垣市内で発見された)



     感 謝 ?
   中華民國八年冬福建省恵安縣漁民
   郭合順等三十一人遭風遇難飄泊至
   日本帝國沖縄縣八重山郡尖閣列島
   内和洋島承
   日本帝國沖縄縣八重山郡石垣村長
   豐川善佐君熱心救護使得生還故國
   洵屬救?恤鄰當仁不讓深堪感佩特
   贈斯?以表謝忱
     中華民国駐長崎領事馮冕  (印)
   中華民国九年五月二十日 (印)


※ 一太郎のATOKでは全字が表記できるが、WordのIMEでは「?」と
  表記される文字がある。「感謝?」の「?」は「状」の別字。
  「斯?」も同じ。「救?恤鄰」の「?」はウ冠に火である。

石垣村長豊川善佐氏への「感謝状」が平成22年11月12日に
豊川宅にて発見され、石垣市八重山博物館の鮮明な画像が入手
出来るようになり、これまでよく解らなかった文字が明確になり、
豊川善佐氏と玉代勢孫伴氏への感謝状の内容に幾分かの違いが
あることも解った。2枚の感謝状を照らし合わせて、それぞれに
書かれている文字はほぼ判明出来たと考える












感謝状
中華民國八年冬福建省恵安縣漁民
郭合順等三十一人遭風遇難飄泊至
日本帝國沖縄縣八重山郡尖閣列島
内和洋島承               
日本帝國八重山郡石垣村雇玉代勢
孫伴君熱心救護使得生還故国洵属
救災恤鄰當仁不譲深堪感佩特贈斯
状以表謝忱               

   中華民国駐長崎領事馮冕 (印) 
中華民国九年五月二十日  

※ 豊川善佐氏のものが「救?恤鄰」となっているのに対し、
  玉代勢孫伴氏のものは「救災恤鄰」となっている。


− 説明 −
漢文に詳しくない管理人の読み下し文だから当てにしないで読んでもらいたい。 


感 謝 状
中華民国八年の冬、中華民国福建省恵安県の漁民              
郭合順ら三十一人が強風のため遭難。飄泊して、                
日本帝国沖縄懸県八重山郡尖閣列島中の和洋島(=魚釣島)に至る。   
日本帝国沖縄県八重山郡石垣村の職員玉代勢孫伴君は           
熱心に救護し、彼らを故国に生還させた。洵に救災恤鄰に属す。       
當に仁たるべし。譲深感佩(かんぱい)に堪えず。特にこの       
状を贈りて以て謝忱を表(あらわ)す。      

   中華民国駐長崎領事馮冕(ひょう・めん)                    
中華民国九年五月二十日
 

外務省の現代語訳
【参考:中華民国駐長崎領事の感謝状】(仮訳)

 中華民国8年冬,福建省恵安県の漁民である郭合順ら31人が,強風のため遭難し,日
本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した。
  日本帝国八重山郡石垣村の玉代勢孫伴氏の熱心な救援活動により,彼らを祖国へ生
還させた。救援において仁をもって進んで行ったことに深く敬服し,ここに本状をもって謝
意を表す。

中華民国駐長崎領事 馮冕
 中華民国9年5月20日



【感謝状の贈られた事情】 
 大正九年(1919年)の冬、魚釣島近海で中国人が遭難しているのを古賀氏が見つけ
て救出。八重山島庁(当時)、石垣村役場も総出で救援活動を行い、31名を無事本国に
帰還させた。このことに対して中華民国の長崎領事が感謝状を贈った。石垣市在住の元
同市助役で郷土史家牧野清氏によると感謝状は玉代勢氏のほか、石垣村長(当時)の豊
川善佐氏、古賀善次氏、与那国島出身の通訳松葉ロブナストさん計四人に贈られた。現
存するのは、玉代勢氏あてたこの一枚だけである(※注)。同氏の長男、冨田孫秀氏が
石垣市に90年頃に寄贈された。

 また魚釣島の所有者古賀善次氏は、「それに、中国もかつてははっきりと日本領土と
認めているんです。事実もありますよ。大正八年、中国福建省の漁船が、尖閣列沖合い
で難破しました。そのとき、たまたま私の船がそれを発見し、難破船と三十一人の乗組員
を助けて石垣島へつれてきて、手厚い保護をしました。私だけでなく、石垣の人たちも彼
等を親切にもてなし、修理をおえた船とともに中国へ帰してやったのです。翌年ですよ、
中国政府から私をはじめ石垣の関係者に感謝状が送られてきましてね。その宛名は、日
本帝国沖縄県八重山郡島尖閣列島でしたよ。いま中国がいっている魚釣台ではなく、ち
ゃんと尖閣列島になっています。個人からの手紙ではありません。政府としての感謝状な
んです。ええ、いまでも保存してありますよ。」『現代』(講談社)第6巻第6号(1972年6月)
142-147頁、「毛さん、佐藤さん、尖閣諸島は私の所有地≠ナす」(「れっきとした証拠」
持ち出し名乗りあげた地主≠フ言い分)


この感謝状の中で中華民国長崎領事は、魚釣島のことを
日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と
記し、救助した島民を
日本帝国沖縄県八重山郡石垣村雇玉代勢孫伴君」と明記している。

「和洋島」というのは魚釣島の日本名である。(牧野清著「尖閣諸島・日本領有の正当
性」124・125ページ)
 つまり、当時の中国政府は、魚釣島のことを日本国の八重山郡尖閣列島内和洋島(魚
釣島の日本名の一つ)と間違いなく認識していたのである。今中国を代表する政府は、
中華民国政府から中華人民共和国に替わっていますが、政府が替わったからと言って、
この認識をなかったと否定することを国際法は認めていません。


























戻る