尖閣諸島の領有権問題
戦後の調査時代
戦後の調査時代01
九州大学・長崎大学合同調査隊
領土権を主張する標柱
写真:「尖閣の谷間」九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月)
戦後の調査時代02
サンゴ礁をくりぬいた船着場のサバニ
「尖閣の谷間」九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月)
戦後の調査時代03
波と格闘しながらサバニの陸揚げ
写真:九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月)
戦後の調査時代04
カツオ工場跡のベースキャンプ全景、左から隊長プレス副隊長テント
「尖閣の谷間」九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月)
戦後の調査時代05
掲載された魚釣島島の地図
Iri-saki Otaki-dani Ko-tani Senzyo-iwa Kita-saki Doan-dani Higashi-saki
Oranda-magari Ando-saki Senryokukaku 等の地名が描かれている。
漢字では、西岬、尾滝渓、小渓、千畳岩、北岬、道案渓、東岬、
オランダ曲、安藤岬、閃緑角。
ただ、東岬はHigashi-sakiではなく、agari-sakiである。東岬の名付け親の
黒岩恒氏は明治33年の地学雑誌でアガリサギと書いている。アガリサギは
印刷ミスでアガリサキであろう。沖縄では、西はiriであり、東はagariある。
戦後の調査時代06
魚釣島南面全面
「尖閣の谷間」九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月)
戦後の調査時代07
山頂附近風衝帯の植生
九大長崎大合同調査隊
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「沖縄の秘境を探る」
琉球大学学術調査団・琉球大学教授高良鉄夫
戦後の調査時代08
物騒なクモの巣小屋(1952)
「沖縄の秘境を探る」高良鉄夫075頁
戦後の調査時代09
南小島・乱獲されたカツオドリの翼1952)
「沖縄の秘境を探る」高良鉄夫058頁
戦後の調査時代10
ジュウタンのように見える魚釣島植物
「琉球の自然と風物」−高良鉄夫
戦後の調査時代11
カツオドリの親子−岩の白い部分は海鳥のくそ
「琉球の自然と風物」−高良鉄夫
尖閣諸島文献資料編纂会
高良鉄夫琉球大学学術調査-
戦後の調査時代10
第1次調査(1950年)
※手に持っておられるのはテッポウユリです。
1950年3/27〜4/10、高良鉄夫氏が単独上陸
戦後の調査時代11
1952年 第二次調査
古賀辰四郎の鰹節加工場跡
調査地:魚釣島・南小島
戦後の調査時代12
1952年・第2次調査
魚釣島のジャングル内
戦後の調査時代13
第3次調査
鰹節加工場を囲う防風の石垣塀・耕作地跡
(尖閣諸島について・尖閣の島々1)
尖閣諸島文献資料編纂会
原画は見にくいところがあったので白黒に変えました
原画はここ→ http://pinacles.zouri.jp/senkakushotounituite/uoturi2.htm
戦後の調査時代14
第3次調査-1953
北小島から南小島を望む
戦後の調査時代15
第四次調査(1963年5月15日〜18日)調査地は魚釣島・南小島・北小島
魚釣島海抜300m付近の風衝植生
戦後の調査時代16
第四次調査(1963年5月15日〜18})査地は魚釣島・南小島・北小島
陸地サンゴ礁上のミズガンピ群落
戦後の調査時代17
第四次調査・1963年5月15日〜18日、調査地は魚釣島・南小島・北小島
戦後の調査時代18
かつては大勢の人々がここで鰹節製造等に従事していた。テントは1979年調査団による
もの。(新納義馬1979撮影)
google 掲載のもの。
pinnacles氏
戦後の調査時代19
浜と緑の間の四角く延びた岩場は古賀氏が積んだ石垣塀。
砂
尖閣諸島の島々(2)
南小島・北小島
http://pinacles.zouri.jp/senkakushotounituite/senkakuislands2.htm
からの引用です。
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