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尖閣諸島の領有権問題

沖縄県無人島探検談


記事名: 沖繩縣下無人嶋探?談
著 者: 宮嶋幹之助
雑誌名: 地學雑誌
巻 数: 第拾貳輯第百四十二巻
頁 数: 585頁3行〜538頁21行
發行年: 明治三十三年拾月十五日
發行元: 東京地學協會








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 地學雑誌第拾貳輯第百四拾貳巻    明治三十三年拾月十五日
      論  説        (禁轉載)

   沖繩縣下無人嶋探?談 明治丗三年九月十一日 東京地學協會例會講演
                     理學士 宮嶋幹之助 


予は過般琉球と臺灣の間に羅列する尖閣群嶋と稱する無人嶋に渡航したるが、今日其
旅行談を致すべしと、神保博士よりの御依嘱に付き、茲に其見聞し來りたる?況を述ぶる
ことヽせり、東京を發せしは本年三月二十九日にして、神戸より臺灣航行の?船に便乗
し、先ず沖縄に至り、同地に暫く船待を爲し、五月三日目的地に向ひしなり、元來今回の
旅行は大學の命を受け旅行せしにあらず、不思議なる關係より此旅行を爲すに至りたれ
は一応由來を述置くべし、
本年の三月初旬頃と記憶せるが、沖縄にて同地方海産物を殆ど一手にて賣買し居ら
るヽ古賀辰四郎と云へる人、東京帝國大學を箕作教授の許に參られ話さるヽには沖縄
の北西に當り三四の小嶋あり、此島は從來無人島なりしも無數の鳥類棲息するを以て
數年前以來之に渡海して諸鳥の捕獲に從事せり、然るに近年其鳥數大いに減じ營業に
困難を感ずる次第となりたり、之に付て何か好工夫あれば高教を仰ぎたしと、
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さて今之が蕃殖を計るにせよ、先づ其島並に鳥の棲息せる?態等を視察せし上にあらさ
れば断案するを得ず、就いては相當の人を撰み視察せしめさる可からすとせられ、遂に
此視察を予に相談せられたり、然れども元來予は鳥類を専攻する者にあらさる故、一応
は辞退せしも、強いて先生の御勧誘に付き、之を諾して渡航視察することになれり、
沖縄本島と臺灣との間には八重山列島あり、其北方に當り極めて小なる島四つあり(海
圖を示す)圖の上にては唯の點にすぎず、?ち此島は予の渡りたる島なり、之に航するに
は通常の便船あるにあらず、故に古賀氏は今回特に大阪商船會社所有の?船を借受け
回航せしめられたり、此?船は登簿噸三百噸ばかりの永康丸と云へる船なるが、種種の
都會ありて、此船の沖繩に回航するのが遅延し、暫く五月一日に那覇港に着せり、依て
五月三日の午後那覇港を拔錨し航海を始めたり、無人島に航するには針を正西に向け
て一直線に大洋を横ぎる時は最も距離近きも石炭其他の積込品のある爲め、八重山列
鳥中の石垣港に至り其れより西表島の船浮港に寄港し、後船首を北に向け一直線に無
人島に航進せり、尖閣列島中先つ島とも云ふべきは三つあり、?ち一を和平山と云ひ、一
を黄尾嶋と云ひ、一つを赤尾嶋と云ふ、和平山は稍々大なる島にして周回約そ三里もあ
るべし、 黄尾嶋は一里半許、赤尾嶋は嶋と云へば嶋なるも唯海上に突出せる一岩塊に
過ぎず、此航海に同行せるは前に述べたる營業主古賀氏、及び沖縄師範學校教諭の黒
岩恒氏竝に八重山島司・野村道安氏なり、今此島に渡りたる事柄を述ぶる前に茲に一
応述べた
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きことあり、從來種々の地圖の上には宮古島の南方にイキマ島と云へる一小島と記しあ
れども視察し來りたる人の報告、又明治十八牟頃沖縄縣廳より特に此方面の無人島を
探?の爲め大有丸を派遣せし時にも此島を發見せずして戻りしことあり、故に今回の航海
は又得易からさるの好機會なるを以て、古賀氏と相談し船を此嶋に向け航進せしめ五月
四日の正午該嶋所在地(北緯二十四度廿五分、東經百廿五度廿八分)に到着せり、然る
に此日は天氣晴朗なりしにも係らず、其附近に一の島らしきものを發見せず、船員の話
に、此の如き好晴の日には十五里の遠きにあるも能く認め得べき筈なりと、此島の存否
は明ならされども、兎に角位置の違ふは明なる處にして、海圖上に示せる塲所及其周圍
十哩以内には該島の存在せさるを確認せり、 
話が後に戻るやうなれど、此船が西表島船浮港に入り該所にて採掘せる石炭を積載し、
五月九日の夜同港を出帆し十日末明に和平山の附近に達せり、然るに黄尾島には既に
昨年來勞働者を派遣し置きしことなれば、早くその安否を如らんとて和平山には寄港せ
ずして直に黄尾島向ひ午前七時頃同所に投錨し上陸せり、此島は前にも述べし如く周回
僅か一里半許面積殆ど七十町歩ばかりの小島なれども、此島には數種の海鳥夥しく棲
息し特に古賀氏が營業の主眼とする信天翁の本據なれば、其棲息?態等を精細に視察
する爲、予は責尾島に滞留することに決し、黒岩氏は和平山及び赤尾嶼の探?に從事せ
らるヽこととなりたり、同氏の尖閣群島に關する報告は已に本會の誌上にも掲載せられ
つつあり、依て予は黄尾島のみに付て述ぶ
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べし 
是は小地圖にて諸君に分明せさるゆゑ茲に色分け地圖を調整し來れり(圖を示す)?ち是
れが黄尾鳥の全形にして御覧の如く三角形を爲せり、而して此中央に海面上直立六百
尺の山ありて、又其北西隅と東隅とに各一峯あり、此三山には未だ名稱なきを以て専断
ながら、茲に名を命ずる事にせり、此嶋に到着せしは五月十日にして恰も  皇太子殿下
慶事の當日なるを以って祝意を表し奉り、記念の爲め最も高き中央の山を千歳山と名づ
け、東隅の一山は船名を取りて永康山と名づけ、西北に位する山をば棲息する鳥の名に
縁み信天山と名けたり、此島は悉く火山岩よりなりて表面に薄土壌を有するに過ぎず、
岩石のことは予の専門にあらさるも他日の参考にもと携へ歸りて小藤博士に呈せり、學
友理埋學士・吉原重康君の鑑定によれば予の採集し來りしは火山岩の一種「バさルト」
なりとのことなり、島の周圍には岩石露出し、唯南面の一部を除くの外は?ね六十尺以上
の絶壁にして容易に攀ること能はず、南方の一部は低くして此處に幾分か港らしき塲處
あり、此處に小舟を寄せて上陸したるなり(海岸の寫眞を示す)他には上陸し得べき好塲
所を發見せず
全島中には水の湧出する處なく、該島居住者には飮用其他の用の如きは雨水によるの
外なし、始め勞働者の渡港せしときは之が爲に大いに困難せしと云ふ、予は豫ねて此事
を聞き居たれば古賀氏に勸め煉瓦を携帯し行かしめ、後來の爲めに約百石を入るヽ可き
一のタンクを築造
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せしめたり(寫眞を示す) 
さて斯樣に水無きゆえ樹木等は生育せさるが如く思爲せらるれども、鳥中には度々降雨
あるためビロウ、アカー等の樹木大いに緊茂せり、其他藤、毒芋、葭、鐵砲百合等甚だ
多し、本島の植物に付いては詳細述へたきも、未だ材料の整理せさるが爲め茲には略

氣候は豫想外に温和にして殆ど沖縄本島の那覇邊と等しく、八重山邊の如く瘴癘の氣な
く炎熱甚しからず、從て風土病等の憂ひなし、現に昨年より派遣しありし勞働者二十余名
の中一の病者なかりしは幸いなりと云ふ可し、
動物の著しき者は鳥類特に海禽なり、勿論他に動物なきにあらず、昆蟲(蟻、蝶、甲蟲、
蠅等)蝸牛、百足、蜥蜴は可なり多きも鳥類を除くの外他に重要なる動物を見ず、 
此島は黒潮の中にあるを以て海産の魚族叉少なからず、鰹等は容易に捕ひ得可く、予
等は在島中日々鮮魚を食することを得たり、その他此邊の海岸には夜光貝を多く産す、
是は鈕を製し又は貝細工用に供せらるヽものにして、有用の介類なり、從來琉球附近よ
り南洋諸島等に産する者にして、其中琉球邊の沿岸にては瀕りに採集せしより、今は大
に減じたるものなり、海中には珊瑚族生育し殆んど全島の周圍は珊瑚を以て取り巻かれ
居ると稱しても可なり、此種類は重に珊瑚礁を形成する種類にして、その他赤色の管珊
瑚の如き美麗のもの多し 
次に鳥類の中陸上の鳥は鳩「ヨシキリ」豚木鳥鷹等の二三種類に過ぎずして他は皆海鳥
なり、予
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が黄尾島溜留中にて得たる 「チウシャクシギ」及び「オホヨシゴイ」は、自ら叢中にて拾ひ
しものなり、此島に住める陸鳥は遥かなる海上を飛びて渡來するを以て大に疲れ、翼を
働かし急に飛ぶこと能はさる故、容易に之を手にて拾ふことを得しならん、餘ほど以前に
縣廳より役人の出張したるときに、鶏を放置きたることあり、其鶏今は繁殖して野生の?
態になり居りて可なり多し、同じく他より輸入せられたる動物にして有害にて因るものは
猫なり、明治廿八年頃沖繩より漁船の此處に來りし事あり、其船頭は猫好きにて船中に
雌雄の猫を飼ひ置きけるが、船の嶋に着するや否や猫は何れにか逃失す、所在分明せ
ずして其儘に爲し置きたるなり、その猫今は山中に住みて繋殖し、數十匹となりて夜毎出
てヽ宿れる禽類を襲ふ、依て懸賞して猫を撲滅せしめ、以ってその危害を防ぐことに力め
しむることになせり、然れども猫は野生の有樣なれば容易に捕獲することを得ず、鳥類繁
殖の上には少なからず影響を興ふる者と云ふ可し、 
黄尾嶋の重要物産たるは信天翁にして(實物を示す)、予が行きしとき從來捕獲せしその
數を計算せしに、平均年十二三萬乃至十五六萬羽を下らず、此鳥は毎年十月頃より來
り初め、翌年二三月頃尤も群集し、四月頃に去る、予の行きし時は季節少しく遅かりし爲
め、僅に二三十羽の群を此處彼處に見たるのみ
此鳥か?を造くるには、土もしくはビロウ、アコー等の林中或は蘆藪の中に入りて地上に
踞し、嘴にてその周圍の土を掻き集め高さ凡そ七八寸の圓錐を築き、その上に枯草等を
のせ此處に坐して
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卵を生むなり、(實物を示して)?ち是か信天翁の卵にして一?には唯一卵あるのみ、信天
翁は又「バカドリ」又は「アホウドリ」と稱せられ、如何にも馬鹿の樣なれども、家鴨の如く
卵を産放しにするにはあらず、必す之を抱き温めてその孵化するまては雌雄交代して日
夜?を離れず、かくする事凡そ三十日許の後に可憐なる雛は卵より羽化し出つ、雛の羽
毛は柔き綿毛にして其色親とは異なりて黒褐色なり、親鳥は其雛を養育する際、雀又は
燕の如く餌をその子の口に入れてやる
にはあらず、親鳥は嘴を開けば子は其中に己れの嘴を入れて吐出せられたる物を食
す、此の鳥食物は主として「イカ」及び海面に浮ひて生活する魚類と見へ、吐出物及胃の
中には「イカ」の「トンビカラス」及び魚の骨等を發見せり、此吐出物は一種名?す可からさ
る臭氣を帯ぶ、之は單に食物の腐敗せる爲めに起こるにはあらで、多分胃の分泌液の
然らしむるものと思はる、鳥は子を捕む時に吐出するのみならず、一端危害に遇へは必
す此厭ふ可き臭氣の半消化せる物を出す、或は之も自家防衛の一手段ならんか、 
予は着島後間もなく藪の中に犢牛の鳴聲を聴きしが此島にはかヽる動物の居ることも耳
にせさりければ、如何なることにやと大いにいぶかり、藪中を聲をしるべに探かし行けり、
然るに豈計らんや犢牛にはあらで信天翁を發見せり、實に信天翁の鳴聲は牛の聲と實
に能く相似たり、生育せる信天翁は頭の頂上と体の上面とか黒褐色なれとも腹部その他
は白くしてその翼の如きは甚だ長く、兩翼を延べて測りたるに八尺に餘れり、故に平地に
ありては容易に飛び立つこと
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能はず、然れとも涯又は少しく高さ處に上れは足塲を得、優々として飛揚しその速力も
中々大なり、或航海者は此鳥が一時間に十二哩の速力を以て走れる?船と爭ふて尚ほ
餘裕ありしことを記載せり、實に左もありなん、
(實物を示し)此鳥は「オホミヅナキトリ」にして勞働者(琉球人)は「カゴ」と呼べり、信天翁
よりは遥かに小にして、期節は毎年二月頃に來り初め九月頃に此島を去る、産卵期は
六月中にして予の行きし時は、未だ産卵せず、此鳥、日中は海面に出てヽ食をあさり夕
景には皆歸り來る、故に海面は爲めに暗く恰も盛夏の晩、軒下等に蚊の郡飛するに似
たり、實に夜聞島上にある鳥の數は幾千萬なるやを知らず、終霄奇聲を發して鳴き爲め
に予等は安眠することを得さりき、鳥は島上の木の根、又は岩の下等に横穴を穿ちで?と
なす、予の實測せる所にては穴の深さは三尺計にして其中には必す雌雄あり、在島者
の話によれば、此鳥の卵は一?に一つヽにして羽化日數は信天翁よりも遙に短く、凡そ
三週間も經れば「カスリ」色の棉毛を有する雛か生れ、三ケ月もたてば充分飛ふ樣にな
るとのことなり、此島を捕ふる方法は極めて簡單にて山の半腹に深さ四尺位の四角なる
穴を掘り置き、上には低き屋根を造くる、又穴の兩側には川に梁を仕掛る時にする如く、
蘆又は其他木葉等にて低さ垣根を造くり、其れを上方へ向け斜めになし置くなり、而して
一夜を經て翌朝此穴を見れば二三百羽の鳥は上を下へと混雑し居るなり、これは夜中
騒ぎ居れるもの追々に山の上より下へと降り來り、仕切りのある爲め遂に此穴の中に陥
るなり、
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その他「オホミヅナキトリ」と略似たる生活をなす島は(實物を示す)此黒き小鳥にして「ク
ロウミツバメ」と稱し、土人は之を「フーカヤー」と呼ふ、尚予の行きし時に産卵中なりしは
「カツオドリ」(實物を示し)にして、島の周圍にある岩石の上に草をしき其上に二乃至三四
個の白堊色の卵(實物を示す)を産む、此二鳥は渡來飛去の期節も略「オホミヅナギドリ」
に同じ(信天翁の捕獲方法を問ふ者あり)
信天翁捕獲方法は、餘りに簡單なりし焉め、言漏せしが、只今の御質問により尚付加ふ
可し、平地又は山の麓等に待ち居りて、鳥の來るを見て棒にて其頭を撃ちて殺すのみ、
又注意して不意に後より鳥の頚をつかめば、手擒にすること容易なり、然し此鳥は人の
近づくも平地にありては速に飛上がること能はす、其嘴を嗚らして逆襲を試む、殊に其嘴
は長くして鋭く、その尖端は恰も剃刀の如くなり居るを以て、人若し鳥にかみつかるるとき
は、随分大なる傷を亨く、予も此鳥を手捕にする際、誤って指の一部をかまれ、少しくな
やみたり、 
次に此鳥の利用を述へんに鳥の体の中是迄目的とせられしは其羽毛にして、重に外國
に輸出せらる、腹部の羽毛は腹毛と云い純白のもの、尤貴く百斤凡そ三四十圓の価格
あり、尚皮膚に密生する棉毛は柔軟にして淡灰色を呈す、之は腹毛よりも遥かに高価に
して百斤八九十圓の相塲なりと云ふ、これ等の羽毛は外國に於て蒲専又は枕等の中に
入るゝ由にてその需用甚だ廣し、信天翁及其他の鳥毛の本邦より外國へ輸出せらるる
こと決して少からず、現に一昨牟の統野によ
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れば、右鳥毛輸出額は金高にすれは十三萬圓以上の巨額に上れり、故に鳥毛も亦一の
有益なる國産と云ふ可し、現時本邦内に於て信天翁の羽毛を採取し居る處は此黄尾嶋
の外に小笠原島の鳥島なり、此島にては東京の玉置半右街門氏巳に十數年前より其業
を營み居れり、鳥島にては如何なる有樣なるやを群にせされども、黄尾嶋にては從來の
採取法の適當ならさりし爲め濫獲に陥りしものと見へ、鳥の數の大に減少せるを認めた
り、昨年の採毛高は五萬余斤なりしも本年度にありては其半にも達せず、且つ白色のも
ののみならずして班毛をも有せるを以て考ふれば、老成の鳥のみならず幼鳥をも殺せし
者の如し、且つ鳥の減少せし證には信天翁の?の配列の有樣は先年と本年とにて大に
異れり、?ち數年以前の古?は高さ七八寸ありて散在せる各?の間隔は僅かに二乃至三
尺位に過ぎず、然るに昨年の?は高さ五寸にすぎず、尚本年度のものにては四寸乃至三
寸五分位に減し、且つ其間隔も七尺以上にして?の構造の粗なると、その數の少きとは
鳥の減少したる確證と信す、もし從來の如く勞働者のなすままになし置かば、數年も經む
中に信天翁は全く此島其跡を絶つに至る可し、故に永遠の策にはあらされども先ず差當
り鳥の採集に制限をつけ置けり、その制限は鳥の島より外へ飛び去るものは少くも已に
産卵に關係なりものなれば、之のみを捕獲し、他は一切禁する事となし來れり、予の去り
し後、該島の勞働者果たして此禁を守り居るや否や、懸念の至りなり、兎に角に斯樣に
有用の鳥なれば充分に保護し、一定の制限を付して採集することは必要なりと信ず、な
お又かく大なる鳥の腹
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毛及綿毛のみをとりて他を捨つるは甚だ惜しき事なれば、各部分の利用の道をつけ又鳥
の肉及骨等は占粕として肥料になさば、又大なる國益となる事なる可し、實に古賀・玉置
兩氏共に右鳥の占粕製造を計畫せられつつあるなれば、早晩予輩は鳥占粕の魚占粕と
共に農家は艮好の肥料を得るなならんと想ふ、 
















































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